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JR福知山線の脱線事故から一年

産経新聞より

JR脱線「9時18分」から1年 あの日と同じ電車、事故現場

一人娘亡くした川東守さん(64)
涙で何も見えない
 午前九時前。一人娘の康子さん=当時(30)=を脱線事故で亡くした兵庫県猪名川町の造園業、川東守さん(64)は、JR福知山線川西池田駅に到着した。事故以来、JRには乗らなかった。しかし、この日は違う。
 「事故が起きたのと同じ日、同じ時間帯の電車に乗れば、康子が感じた恐怖を、痛みを共有できるかもしれない」
 一年が経過した同じ日、同じ時間に康子さんが通った道をたどる。その後、追悼慰霊式に出ることにしていた。
 妻、ミツルさん(64)は車で会場に向かった。三十歳を過ぎて授かった一人娘。「結婚しても絶対に一緒に住むからね」と言ってくれた。「今どきはやらないよ」とたしなめたが、家を二世帯住宅に建て替え、孫と暮らす幸せな老後を夢見た。「まだJRには乗れない」
 守さんは、ひとり改札を抜け、右側手前の階段を下りた。そこに、康子さんが大阪・福島までの通勤に利用していた二両目の乗降口がある。朝から晴れ上がった空は昨年と同じ。ホームからヤエザクラが見えた。
 午前九時六分、同志社前行き快速電車が到着した。銀色の車体がまぶしい。通勤客にまぎれて電車に乗った。車内はほぼ満員。二両目前方のドア越しに車窓を見つめた。
 あの日、守さんは大阪の造園の現場で働いていた。事故は、午前十一時すぎにミツルさんの電話で知った。急いで帰宅し、何度も消防や警察に電話したが、つながらない。「尼崎の体育館に行けば情報が集まる」と聞き、車で向かった。到着してからも、負傷者の情報が入るたび、病院を回った。体育館と自宅を往復し、二十六日夜は体育館に泊まった。翌二十七日朝、変わり果てた康子さんと対面した。
 電車は何事もなかったかのように走っていく。乗客は眠ったり、本を読んだり、安心して身をゆだねている。
 「きっと康子もそうだった。でも伊丹駅オーバーランしたとき異常に気づいたんやないかな。すごく怖がりやったから。会社に遅刻してでも降りればよかったのに」
 かすかなブレーキ音を響かせて、電車は伊丹駅に到着した。
 この一年、康子さんを思って涙を流さない日はなかった。ミツルさんは、リビングの出窓に康子さんの生い立ちをたどる十二枚の写真を並べ、休日を利用して四国へお遍路に出かけている。康子さんが生まれた大阪府門真市産婦人科や家族で遊んだ天王寺動物園には夫婦で出かけ、思い出をたどった。「私らが覚えといてやらんかったら、康子がかわいそう」という思いからだ。
 『次は尼崎、尼崎です』。伊丹駅を出発した電車は長い直線に入り、スピードを上げる。窓外のマンションや畑、工場が後ろへ飛んでいく。
 現場のカーブに近づく。康子さんが感じた恐怖、痛みを共有できるだろうか。守さんは身を硬くして車窓を見つめた。しかし、今日の電車はカクンとひと揺れしてスピードを緩めた。
 午前九時十七分、警笛を鳴らし、レール音をきしませながら、事故現場に差しかかった。守さんはあふれる涙をこらえ、口を一文字に結んで懸命に事故現場を見ようとした。だが、胸がつまって何もわからなくなった。献花台や無人になったマンションが目の前を流れていく。そっと手を合わせ、目頭を押さえる乗客もいた。守さんには何も見えなかった。「ちゃんと目を開けてじっと見たつもりだけど見えなかった。情けないなぁ」
 守さんはいつも、夫婦げんかを仲裁した五歳の康子さんを思い出す。
 「康子を連れて田舎へ帰れ」。守さんが声を荒らげると、おかっぱ頭の康子さんがトントンと廊下を走り、玄関を通せんぼした。涙を浮かべて守さんをにらみ、「お母さん帰ったらあかん。やっちゃんは絶対に帰らへん」。気迫に押され、仲直りした。
 「天国で心配するからこれから夫婦げんかはできひんなぁ」
 尼崎駅の改札を出た守さんは、JRの送迎バスに乗り、ミツルさんが待つ追悼慰霊式の会場へ向かった。(阪神支局 平田雄介)
産経新聞) - 4月25日